タクシーにて-それから『冬ソナ』

病院の帰りに乗ったタクシー。帰り道に図書館に寄ってもらう。いつも行く図書館が12日に殺虫剤をまく。だから、CS発症者の私はしばらく図書館に入れない。本を早めに返却して、予約したものを受け取る。

図書館で用を足して、待ってもらっていたタクシーに乗ると、ドライバーさんが「図書館なんて、この年になって1回か2回しか来たことないなあ」と言う。ちょっと年配の男性。

「私は病気をしてから、音楽を聴くか、本を読むかしか、楽しみないから」。「本はいいんだよね。でも俺読まないなあ」。「テレビはくだらない。どれをみても同じ人ばかり出ている。観る気がしない。韓国ドラマくらいしか観ない」というようなことを私が言うと、「韓国ドラマ好きなのいるよお。男でも。うちの会社の運転手で、若い奴が好きなんだあ。どこがいいのか俺はわかんない」。

そうなんですよ!私もどこがいいのかわからないのだけれど、観る。それずっと考えていた問題(?)。私は答えが出せない。大学の先輩は「こころに溜まっているあのドロドロを表現するのがいいんじゃない?」と言っていた。けれど、私が観るのはあんまりドロドロしていない。

最近読んだ岩宮恵子さん(島根大学教授、臨床心理学)の著書『フツーの子の思春期-心理臨床の現場から』(岩波書店、2009年)には、例の『冬ソナ』になぜ多くの人が惹かれたかが書いてある。ただし、私は『冬ソナ』には惹かれなかったのだけれど。

つまりあれは思春期とお別れする「死」を描いていたところがミソだったらしい。以下、岩宮先生の著書からその概略を少し書いてみる。『冬ソナ』分析をしている章のタイトルは「大人にとっての思春期の意味」。

著者である岩宮先生によると、2004年頃から中高年のクライエントが次々と『冬ソナ』について語るようになった。子どもの問題行動で頭がいっぱいで、自分の抱えている問題への苦悩が深く、とてもドラマを観る余裕がなかった人々が『冬ソナ』にどっぷりはまることで、「固く凍っていた部分に温かいものが流れるような変化を実感」した、と述べる。

しかも、多くの人が「自分がこんなドラマにはまるとは思わなかった」と、「新たな自分を発見」していて、これは「問題から逃避するためにドラマを観ているというのとは全くレベルの違うものが動いている」との印象を著者は受ける。

筋書きを聴けば、大昔の少女漫画みたいなこのドラマに、なぜこんなに感動を受けて、「苦しみの渦から一歩踏み出す力を人に与えるほどのパワーをもつのだろうか」と、著者は思い、『冬ソナ』に関心を持ち、考察を始める。

そして、著者は『冬ソナ』における「純愛」が思春期の重要なイメージと関連しているのではないか、と考える。思春期の「解離」、思春期と別れるときに誰もが深層にもつ「死」のイメージが『冬ソナ』には描かれていた、と言う。

死んだと思っていた男性が生きていて、しかも、その男性は記憶喪失。彼を愛していた女性にとっては何よりも大切な思春期の記憶が彼の中ではすっかり抜け落ちていた。その筋書きが思春期イメージと重なるとの著者の分析が書いてあり、

「冬ソナにはまった人のこころの深層で活性化しているのは、その人にとっての思春期体験の真実なのではないだろうか。そのため、ドロドロした感情も間違いなく存在していた思春期体験の事実よりも、今を生きていくうえでもっとも大切な意味を持つ思春期体験の真実を重点的に想起しているように思う。だからこそ、このドラマにはまった人たちは、自分の中にとても大切な宝物を探し当てたような喜びを感じているのだろう。こころの問題に関しては事実が真実とは限らないのである」(上掲書、P.92)。

こういったことが起こるのは『冬ソナ』のドラマ構造にある、と著者はさらに指摘。「突っ込みどころ満載」なのは、監督が意識的にドラマを「ファンタジー」にしたことに起因し、そのファンタジー要素が人々の全体性を取り戻すのに一役買ったということらしい。

そして、「面接場面でこのようなドラマや俳優について語られることはよくあるが、この「冬ソナ」とペ・ヨンジュンに関しては、イメージ喚起力が他の媒体よりも遥かに強かったのが印象的だった」と、著者はこの章を結ぶ。

わかったような、わかんないような部分もあるのだが(それはこちらのイメージ力の問題)、『冬ソナ』のあらすじとその分析を著者は丁寧に書いている。ここでは詳細を省いたので、関心のある方は著作にあたってください。この本では、いまの中学生とその親の現実が描かれていてそちらは本当に興味深いテーマで、学ぶことが多くあった。


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