暮れに聴くはマーラー。

ばたばたとしていた。

気づけば今年も1週間。とはいえ来年は平成が終わり元号が代わり象徴天皇が代替わりするから、世の中的には4月30日にもう一度何かを振り返りそしてあらたまるという感じになるのだろう。

4月30日は母がこの世から去った日だ。母はど庶民だが、私がいうのもなんだが、美しい顔立ちの人だった。母の死後母の若いころのポートレートを玄関に飾っている。華やいだ笑顔だ。

亡き父が競走馬を持っていて父が死んだときそれを母は引き継いだ。だから小さいときは母と北海道に馬のセリを見に行ったり、競馬場に我が家の持ち馬のレースを見に行ったりした。母と一緒に小さいときは面白い人生を過ごせた。母はそしてどこかメモリアルな人だったんだよね。娘の私がいうのもなんだけど。だから平成が母の命日でおわるのもなんか私的には母はやっぱり「メモリアル」な人だと思うのだ。

天涯孤独の年の暮れというのは特別なこともしないからかもしれないけど、今日の連続でしかない。母が亡くなった時はさっきまで生きていた人がいまは死者になるってことがよくわからない体験だった。残った私はいまでもその続きを生きているだけだから。

暮れはマーラー聴いて静かに過ごそうと思う。紅白とか2時間ドラマとかはみるけど、基本はマーラー聴いて、今日年末年始用に借りた10冊の本をとっかえひっかえ読んでみよう。

しかし、この冬のドラマはなあ。なんとも言いようがないのが多かった。みることはみたんだよね。話題の「大恋愛」も「黄昏流星群」、「中学聖日記」も、高橋一生の「僕らは奇跡でできている」も。それなりにみてはいたんだけど。そりゃ「大恋愛」も泣けるドラマだったし、「中学聖日記」も新鮮な魅力があったけど、どれもこれもどうなんだと突っ込みたくなるものであった。(あんたが好きな「花晴れ」のほうがよっぽど突っ込みどころ満載だろうよといわれそうだけど)。

とくに「黄昏流星群」には物申したい気分だった。あれはないだろう。結婚したこともなく、家族がもうすでにひとりもいない私が疑問符つけるのもおかしいのかもしれないけど、あれは家族の歴史っていうものを全否定したドラマだ。

エリート銀行員の夫、専業主婦の妻、なんの苦労もないその娘、この3人全員が不倫するんだからなあ。そして全員正統な(?)相手を捨てて、不倫相手と結ばれる。恋愛的にはハッピーエンドかもしれないが、家族の物語としては、各家族メンバー全員の不倫による家族の瓦解、崩壊、空中分解という結末。

あれを「ハッピーエンドでしたね」といっている一部ネット民とか、NHKの「あさイチ」とか(主演の佐々木蔵之介がでたときにそう声をかけられていた)、なんか価値観おかしくないか。

別にドラマに倫理をもとめてないけど、釈然としない。そういう世の中のおかしさに出会ったら、マーラーを聴くのが一番です。