CSカナリヤ闘病記-回復をめざして

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zoom RSS 村田沙耶香著『コンビニ人間』を読んだ。

<<   作成日時 : 2019/03/21 10:51   >>

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今日は

東京に開花宣言がでるらしい桜・三月・弥生・春。

近所の工事が佳境でCSが悪化したうえに気象病で更年期の終わりがひどくてまともに働けていない3月である。

昨日病院の帰りに以前から読みたかった『コンビニ人間』を購入。これはさまざまな媒体での平成の3冊とか、30冊とかの特集でほとんどランクインしていた作品。

高橋源一郎氏は平成の2冊は朝井リョウの『何者』とこれをあげていた。先に『何者』を図書館で借りて読んだのだがどうもピンとこなかった。これは私がひとえに文学偏差値が低いからだろうと思うけれど読みにくかった。4月は時間があるからもう一度読んでみようとは思っている。

『コンビニ人間』はあっという間に読んでしまった。短いうえに圧倒的に読みやすい。あらすじその他は省くけれど、これは「それが何で悪いのか」という話である。むろん他者への暴力はいけない。しかし彼女はそれをいちおう小学生段階で克服した。その克服は人とかかわらないという決断と実行だった。


したがって、主人公は親や妹、世間というものから治療対象とされる。「治ってほしい」「治ったほうがいいんではないだろうか」と思われている。親はカウンセラーから「愛情を」といわれ愛情をそそぎ理解をしようとする。


主人公の特徴的な行動は「心の理論の欠如」。mind-mindedに問題がある。心で心が読めない。サイモンバロンコーエンでいうと「マインドブラインドネス」、ピーター・フォナギーは「メンタライジング」の問題と言うだろうか。

しかしコンビニで働いたとたん彼女はがぜんいきいきする。社会の歯車になれた実感を得る。彼女と同居生活を送ることになる男性もたぶんDSM−5にならえばあるところに分類可能かもしれないパーソナリティの持ち主である。

その人たちがどこに行くのか。

この面白さ、ある種の深さは『おっさんずラブ』に通じる感じがする。あのドラマは、絶対女性としか恋愛なんて成り立たないと思いそういう人生を33歳まで送っていた男性が男性を結婚相手に選ぶということが成立する物語だ。

あのドラマをみて「それが何で悪いのか」と素朴に思うのは、好きなこと、その人と共にいたいということ。それが「なぜ男女じゃなきゃいけないのか」という感覚がすっとこちらに沸き起こる。その物語のすごさのせいだ。ジェンダー論とかの議論を経ずともそれが感覚で理解できる世界を作っていた気がするのだ。

『コンビニ人間』は、世間からすれば、ヒロインは人の気持ちもわからないし奇妙な生活をおくっているかもしれない。けれど、社会にはそういう人だっているしそういう生活をしていて「なぜ悪いのか」と、これまたすっとこちらに入ってくる物語なのだ。


周囲の人間は彼女に「なんで大学出て一度も就職をしていないのか」「なぜ彼氏がその年までいないのか」「なんで結婚しないのか」と圧力をかけてくる。彼女は周りの人のしゃべり方、行動をコピーし服装を調べ真似をすることで社会性を身に着ける努力をする。それは面白い場面であはるが痛々しくもある。


こういう生活も人生も人間もありですよと私は思う。私もまた病をえてそういうところにいるのである。

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