「ねんきん定期便」に思う。

再開してからのこのブログでは、聴いた音楽、読んだ本、みたドラマなどをテーマにすることにしていた。日常のことやなんやかんや書くとひたすら暗くなるからだ。


でも、今日は暗くなる以外にない「ねんきん定期便」つまりは定年後の生活について書いて、消化と排出をしよう、と。

しかし、このへんてこな中身のないブログを1日100人以上の方が読んでくださっている事実に驚愕する毎日だ。でも、100人、多いときは160人くらいの人が読んでいるということを思うと、それは励みだ。

で、「ねんきん定期便」だが、まあじっとみて暗くなる。いまの生活をがらっと変えねばならない。ということで、私にできる仕事をひとつ考え始めているわけだ。

考えてみれば、15年以上闘病し、たった一人の家族であった母が23年がん闘病をして、才覚もない我が母子にお金が残るわけがないのだ。貯金なんて人波にできるわけないのだ。


そう思って納得したからと、問題は解決するわけではない。私がもらえる年金、その前に年金がもらえるまでに、いまある貯金をなんとか保持しながら、どう食べつなぐか。これが大命題だ。


けれども、つい最近までの私は、もう家族もいないし、あるところまで生きたら自分から死のうと考えていた。だから、こうやって金勘定しているということは、生きよう、なんとかこの厳しい社会でも、生き残ろうと思っているんだ。ということに気づいた。

いやー、わかんないですわ。ひとの心持は。自分のことも。それだけ自死というのが案外できそうでできない、ということでもある。おそるべし「ねんきん定期便」。

おわり。