疲れる。

今日は10月1日。下半期の始まりで今年もあと3か月。疲れたなあ。下半期に提出する書類は書く気が起こらないのでしばらく置いておく。はあ。からだがとにかくだるい。頭がもやもやする。

「暑さ寒さも彼岸まで」なんて昔の話だよね。今日も「30度近くなるから気を付けるように」って朝の天気予報で言っている。夏の酷暑に比べたらさすがにからっとした暑さだし夜もエアコン消して寝られるけど寝入りばなは蒸してエアコンのドライを2時間くらいつけないと寝られない。

だから冷えも入ってくるからまた膀胱炎症状みたいのがでてくる。厄介だ。からだは「悪いもんだ」という頭で暮らさないととても暮らせない。しかし、わびしい寂しい毎日だ。

そうそう、私がカウンセリングに通っていた心理士さんが本を出したから、それを読んだ感想とか近況とか書いて手紙だしたけど、ああいう人たちって絶対返事くれないのね。こういう体験は数回ある。

私はもうクライエントではないのに。で、思った。心理士とかってすごく対人関係に重きを置くというか、軸になるんだけど、それって対人関係=人間関係じゃあないんだよね。俗にいう「人間関係」っていうのは、手紙もらったら返事を書くとかそういうことで成立する関係だと思うから(嫌いだとか関係を断ちたいとかは別ですよ)。

専門家と患者による対人関係って人間関係で成立しているわけじゃなくて、あちらさまの治療システムに乗っかって成り立つ対人関係なわけだ。だからBPDの人たちはそれに耐えらえれなくてそのルールとかシステムを壊すということが起こるのだろう。

で、患者―治療者関係を終わっても、治療の場が終結して、患者が日常世界に戻ったら、知り合いであっても知り合いじゃないという状況がおこる。いわゆる非日常の人間関係だから、ということである。


4,5年前に読んだフロイトの患者だった男性の伝記を想い出す。彼の治療はそうは成功していなかったらしい。フロイトの治療後もさまざま症状に苦しんだ。それでも生き続けていた。彼は「フロイトの患者だった」ということが誇りであり、アイデンティティで、生きるうえでのよすがになっていた。

症状は残ったにしても、それはひとつ素晴らしいことだなあ、と私は思った。

『W氏との対話』。いわゆる「狼男」。
W氏との対話―フロイトの一患者の生涯
W氏との対話―フロイトの一患者の生涯



K先生もどんどん出世して私が死ぬときに彼にたった1年だけどカウンセリング受けたことが誇れるようになれたらそれはそれでいいような気がする。でも母が迎えに来たときにはこの世のことはぜんぶすっかり忘れていたい気もする。