うん、そうだと思った。

この辺境ブログの訪問者、多いときは160人近くいてくれた。私はそれで俄然「書く」「書き続ける」という意欲がわいた。

なにしろ少ない日で100人、多い日で168人も訪問者がいるとアクセス解析にでてくる。そりゃ1日500とか、1000とか訪問者がいるブログなんてざらなんだろうけど、このせまーい中身もないブログにそんな来てくれるのかあ、と喜び勇んでいたわけだ。

ところが、10月1日を境に、訪問者は激減、ここ数日は30前後。変だぞと思い、読んだことのなかったプロバイダーの「お知らせ」を読んでみたら、10月2日で訪問者のカウント方法を変えた、と書いてある。

カウントする方法を変えたのはいいけど、どっちが実数なの?どうなの本当の数は?それがわからない。どうやって水膨れさせてたの?

でもお、それはそうだろうとも思う。うん、だと思ったわ、という気分である。

とはいえ、ブックマークつけて寄ってくださる方がいるもの事実。書き続けてみよう、と思うことに変わりはない。まずは自分が頭を整理できるのがブログでもある。消化と排出もできる。

昨日のこと。
昨日はいつもと違う日曜日を過ごした。図書館の入っているビルで区の生活展があったのだ。そこに私が10年前から野菜、お肉、お魚、日用品を一括して買っている生協が出店していたので、図書館に返却しがてら、覗いてみた。

ステージではちょうど落語が始まっていた。生まれて初めて落語を生で聴いた。区から依頼されたのでテーマは「詐欺」だそう。途中で疲れて私は退散した。

それから生協のキャラバンに「組合員です」と顔を出してみた。私はご近所づきあいをしないからこういう生協のネットワークがこれから大切だ、と思い始めている。いろいろな勉強会が地域でよく企画されている。行ける日は行ってみたい、と思っている。

母を亡くしてから友人関係とか人間関係にちょっと(いや、大いに)懐疑的になった。人をあてにしてはいけない、と強く思うようになった。私のような身寄りのない人は、情とかを中心にした友人関係とかこれまでの人間関係に頼るのではなく、システムに頼ったほうがいいだろう、というのが私の結論である。

たとえば、菩提寺の檀家システム(これは近い将来先細りがあるだろうが)と、この生協関係のネットワークだ。介護保険が使えるようになったら、それら公的支援ネットワークも使える。

人ほど実はあてにならないものはない。あてにならないというより、たとえ、友人や知り合いとして助けたいと思っていてくれても、自分の家族に何かあったらそちらがとうぜん優先で、私の世代など介護世代だから、自分の生活でいっぱいいっぱいだ。

だから、システムとしてしっかり出来上がっている人的ネットワークに頼る。それに依存するのがよいように現時点では思っている。

先週のこと。
近所にできたパンのお店でミルクティーを飲んでいたら、以前よく行ったあるカフェの常連さんと偶然でくわした。お互い名前を知っているしあいさつ程度やちょっとした会話はしたことあるけど同席したり個人的な話をしたことはない。

なのに開口一番「あら、引っ越したんじゃないんですか。じゃあまだあそこにいるんですか」と言われた。「動けない事情があって、病院関係のこともあり、まだいます」と答えたものの、なんだかいやーな感じがした。

なぜなら、その人に引っ越すなんて話したことないから。そういう関係性ではなかった。おそらくお店で誰かと話しているのを小耳にはさんだりしたのだろう。私の家の場所を知っているような口調に背中がざわざわする。これはトラウマも関係する。今度会ったら聴いてみよう。私の家をご存知ですかって。

狭いカフェは怖い。実は今だから書くけど、私はあるところでストーカー的なことをされた経験があって1年ほどそこに行くのをやめていた。あるところでは店主の方からそういった問題の相談を受けて実際に対応策に協力したこともある。私は二度とああいうごたごたに巻き込まれたくない。


口直しに、昨日借りたCDをご紹介。
シューベルト:ピアノソナタ第21番 - ハスキル(クララ)
シューベルト:ピアノソナタ第21番 - ハスキル(クララ)

シューベルトの有名なピアノソナタ21番(何年か前NHKで長谷川博己が漱石を演じたドラマでとても大切な場面でこの曲が使われていたと思う)とスカルラッティという組み合わせ。モノラルをCDにしたものだけど、いいですねえ。