素晴らしいラルス・フォークトのバッハ。

「自助・共助・公助」なんて言ったら、「○○さん(わたしのこと)なんて死ななきゃなんないじゃん」と言われた。「そうですよ」と答えた。そんなのわかっているよと、だからどっかで自分で自分の始末をするつもりで生きているんだ、と心の中でつぶやいた。

これわたしにとっては「パワハラ」だ。わたしはところどころでこういう「えっ?」という「パワハラ」的言葉をかけられる。でもそれこそ「自助」では生きられない人間だから、「辞めろ」と言われるまでしがみつくと腹をくくっている。

思えば、世の中で、わたし以上にパワハラに耐えている多くのひとびと、昔でいえば女工哀史みたいなひと、自尊心傷つけられながら働いているというひとはいて、これも給与のうち、と我慢する構造になっているところがあるはずだ。

こういうときにこそ、いい音楽を聴く、好きな音楽を聴く。

いま現役で活躍しているピアニストで好きなのがポール・ルイスとラルス・フォークト。フォークトのモーツァルトについては何度かこのブログで書いている。愛聴盤だ。

ゆうべのNHKFM『ベスト・オブ・クラシック』では、ベルギーで2017年10月15日に収録したラルス・フォークトの演奏会を放送してくれた。

曲目は


「ゴールトベルク変奏曲 BWV988」
 バッハ作曲
「ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111」
 ベートーベン作曲  
     


1時間超の演奏になるゴールトベルクなんて想像を超えた良さ。一言で言って。グールドとも違う。ペライアとも異なる。

グールドであってもペライアであっても、チェンバロでスコット・ロスで聴いても、どれも超名演であり、もちろんそもそもが名曲であるが、1時間超聴いていると、どっかだれるところがある(わたしの場合ですよ。あくまで←それはお前がほんとうに音楽を愛していないからだという声が聞こえてくる)。それがフォークトには一切なかった。

おそらくこの曲はほんらい非常に凝ってはいるが地味な曲でもある。構築されていくものを味わうのでメロディを楽しむという部分は少ないと思う。(素人のへりくつ展開中)。だから、グールドがあのように弾いて息を吹き込まれたのであるし、それ以降はグールドを意識してこその名演もさまざまある。多重録音なんてやった面白いリフシッツのCDなどもある。グールドの録音も何度かのテイクで良いところを使っていたはずだ。

この曲をコンサートで生で演奏するというのは当然のことながら、そうとうテクニックがないとできないはずだ。しかし、フォークトはなんら凝ったテクニックを使った様子はないのに、地味ではない。空っとして、聴きやすい。誤解を恐れず言えば、チェンバロを意識しながらも、モーツァルト的なポップさと陰と陽がある。

おもわず、CDをアマゾンで注文。
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 - ラルス・フォークト, J.S.バッハ
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 - ラルス・フォークト, J.S.バッハ

そういえば、また「のだめ」の再放送(何回目?)が始まった。何度見ても面白い。というか、こうして年を取ってみてみると、げらげら笑えて、しかも中身があって「いいドラマだなあ」とまた感じる。

玉木宏さんなんて「千秋先輩」を演じるためにいたのではないかなんて思ってしまう。上野樹里ちゃんはまったく「のだめ」そのもの。彼女が去年『監察医朝顔』で主演した時のインタビュー記事をネットで読んだけど「のだめは一生やりたい」と語っていた。一生やってほしい。夫婦になったのだめと千秋先輩、2時間ドラマでやってくれないかなあ。

千秋先輩がツンデレの極致なのに、のだめが弾く『悲愴』の第2楽章にひれ伏してしまい、その後エプロンつけてせっせと料理したり洗い物したり、のだめの髪の毛をシャンプーしドライヤーで乾かしたりと、家事能力ゼロ、身辺処理能力が高いとは言えない「天才のだめ」を何かと世話するこの設定。「男女共同参画社会」である。