宮野真生子・磯野真穂著『急に具合が悪くなる』を読んで。

1週間ほど前に読んだ本。

宮野真生子さんはこの7月に癌で40代前半の若さで亡くなった。九鬼周造を研究していた哲学者だ。磯野真穂さんは摂食障害について研究した文化人類学者でまだ30代。磯野さんの本は以前読んだ。

宮野さんが亡くなる直前までの二人の往復書簡。この本の校正を「合宿して」ふたりでするはずだったそうだが、宮野さんはそれがかなわないまま亡くなった。

前半は若い研究者の専門用語を使いながらの女子会的のりのおしゃべりみたいな感じなのだが、後半からがぜん様相が変わる。それは磯野さんから宮野さんへのひとつの問いからだ。死ぬということを避けられないのだからそれを言葉にしてという求めだ。

辞世の句を、というようなことだろうか。

けっして悲壮感にあふれた書き方はしていないのだが、病状が悪化しているのがわかるから、ひとつひとつの言葉が受け取るこちらには重くなる。胸が痛くなる。それこそ身を削って言葉を紡いでいる。おそらくそんなエッセイや小説はたくさんあるし、私もそんな作品を読んでいないわけでもないのだが、死にゆくことがわかっていての手紙というのは、辛い。けど、なにかこちらにも凛としたものが与えられる気がした。

とくに私が大いに共感したのは、具合が悪いことに縛られてそれを中心に考えたら何もできないから、どんどんスケジュールを入れてこなすという宮野さんの姿勢だ。病気に支配されないということだろう。それはいまの私にとっても重大なテーマだ。

具合が悪い中でどれだけの仕事がこなせるか。それについての宮野さんのやり方と覚悟について。病気は違うし、彼女ほど距離のある移動を伴う仕事とか重要な役割を果たしていないけど、同じことを考えたり行動しようとしたりしていたし、そうありたいと素朴に思う。

でも、私の場合は彼女ほどの度量はないから、攻めにでられるときと、防戦一方のときの、ふり幅が大きすぎる。彼女には両親とパートナーがいる。そういった条件の違いも大きいだろう。もちろん能力の格差も大きいけどね。

急に具合が悪くなる
急に具合が悪くなる

そうそう、この本で「まったく、そうだよね」と思ったことがもうひとつあった。それは民間療法のこと。有名人が民間療法に頼ったことを批判する西洋医学の医者の意見など私もネットで読んでいた。そして「やっぱりちゃんとしたエビデンスがある治療を受けていれば」と思ったことは思った。けれども、自分の中で全面的にそう思えないものがあった。どこか引っかかるものがあった。

患者の選択が大事とか言っておきながら「なぜ民間療法を選んだら」それを否定されるのか、という点がひっかかるのだ。磯野さんが、医療人類学の視点から、民間療法に対して西洋医学が優位みたいな考えに対しての意見を述べているところは、学ぶところが多かった。

続いて読んだのがこちらで、私の中では連続性があった。
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

これについては明日以降に。