本気で死ぬことを考えていたころ。

7月28日の京都新聞。

社説:ALS嘱託殺人 生きようと思う社会に
https://news.yahoo.co.jp/articles/4645735ec6d375a4ca9c42c91f4542fe1baf1730

わたしが本気で死ぬことを考えていたのは発病してからの2年間くらい。毎日死ぬことばかりを考えその方法を具体的に考えていた。発病から1年半過ぎたころに、M病院のN医師のことを聞きつけた母がその病院に私を連れて行った。食養内科だった。文字通り食事療法を中心に治療する内科だ。

N医師がどんな状況か尋ねたとき「死にたいとばかり言っています」と母は答えた。それに対してN医師は「死にたいんじゃないんだ。死ぬほどつらいんだ」と言ってくれた。

それからN医師が病に倒れるまで約10年以上N医師のもとで治療を受けた。当時はわたしの負け戦の伴走者をしてくれる人ができた、と思っていた。

発病から10年目。母が亡くなりまた「死のうかと思った」。N医師も病気で医師を辞めた。いまも「いつ死んでもいいんだ」と思っている。でも、あの発病直後ほどの「死にたい」感じとは少し違う。

京都新聞の社説にこう書いてある。
事件を知った別のALS患者は「死にたいと言っても、それをうのみにして死なせてはだめ」と話す。生と死の間で揺れる苦悩に、SNSで医師が死に誘導したとしたら恐ろしい。


N医師があのとき死にたい気持ちを否定しないで「死にたいとおもう程つらい」と理解してくれて、そういう気持ちと状況であることをそのまま認めてくれた。そこでひとつ「死にたい」気持ちにひとつ間が空いた。その間があのとき必要だった。

これはただわたしの話である。